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36. 25歳のしるし これは25歳の誕生日に記したもの。今となれば、心の浅瀬をパチャパチャ泳い だだけって感じ。まっ、こんな時代もあって、今の僕。 キャラメルへの挑戦 ~つれづれなるままに~ 『俺、今日で25歳 支えられている自分として いつか誰かを支えられたらいいね』 人として生き抜くことに、どんな意味があるんだろう。自分の命を次の時代に 伝えていくことに、何があるというのだろう。なぜ、何のために生きているの か、生きてゆくのか?それは、考える動物の永遠のクエスチョンでありテーマ なのだろう。永遠であるがゆえ、その不安の中で安心して?いけるのかもしれ ないし、この力がある為に、意味づけしたいとしたり、自分の目で確かめたい としたり…結局わからなくなっちまって、また最初のテーマに戻ってしまうん だ。それは命というものが肉体のどの部分に位置しているのか「さぁ皆さん、 これが命です。さて私たちは何故生きていくのかを答えてもらいましょう」な んて出来ないのと同じで、どこかの伝道師の話を信じきった方がいいに決まっ てる。 誰もが永遠のテーマだと知っているだろう。だからこそ、そこに宗教の世界が 存在できるんだ。それは、考える力を持つ者の逃れられない煩悩から来るもの なのだろう。そして、肉体と魂とのバランスが崩れている者ほど、つまり、汗 を流さない者ほど直面することなのだろう。ひょっとして、生きていくってこ とは、このテーマを捻じ伏せていくことなのかもしれない。脳がオーバーヒー トしてあえぐ時だ。その時ベールは剥がれ落ち、生ききれず死にきれない者の テーマが顔を出す。<何故、生きているのか>神様はまったく余計な力を吹き 込んでくれた。 このテーマから逃れるにはどうしたらいいか。それは汗を流すこと。全力の力 を振り絞ってみること。悪魔の声が聞こえないように、耳を塞ぐのではなく、 大声で叫んでみることだ。そうすれば、聞こえなくなる。少なくとも聞き取れ ない。走ってみる。倒れるまで走ってみる。言葉の遊びではなく、本当にそう してみる。すると、その後の程よい筋肉の疲れが安堵感に変わっていく。何か が見えてくる。そして深い眠りがやってくる。深い眠りを与えられた生命はち っぽけな?マイナーなテーマなど寄せ付けない。 例外なく<生き生きと生きた命>で生きている者がいる。子供たちだ。彼らの 目は輝いている。悔しいくらい輝いている。大人の目線より低いせいではなく また、肉体的に弱いというせいでもない。そんな優劣のせいではないんだ。本 当に輝いている。凝視できないほどだ。 それはきっと<しなやかさ>からくるものだろう。子供は<しなやかさ>とい う細胞でできているのかもしれない。そして全てを天に任せている。彼らの生 き生きと呼吸している命は、いつも何かを捉え、ドキドキしながら触れようと している、見ようとしている。そんな彼らとの接点はあるのだろうか? 彼らを見てると嬉しくなってくる。力が湧いてくる。でも、それは接点とは思 えない。あぁ、彼らのあの力が欲しい。しなやかな力が欲しい。天にゆだねた ままの心が欲しい。感性というビー玉のような細胞が欲しい。 自殺してしまった子供たちは例外だったのか? 違う。子供たちは、正面から物事を受け止めぶつかっていく。逃げる、かわす ことを知らないんだ。悩み、苦しみ…この方法を選んだ。それは大人の場合の 逃避ではなく、どうすることもできない者たちの最後の力なんだ。刃物を持っ て立ち向かう方法を取らなかった優しい者たちの道だったんだ。彼らは大人の 世界が自分ではどうすることもできないことを知っている。彼らのしなやかな 心は、何故生きているのかを寄せ付けない。だから無垢で透明でピチピチした ままの命を絶つこともできるんだ。 子供たちのしなやかな心が無垢から来るものだろすれば、大人はその心を持つ ことは難しい。子供たちは自然に素晴らしい知的好奇心を持ち、ドキドキしな がら生きている。 そんな彼らに近づきたい。 かつては僕も子供だった…。 その為には彼らのそばに行ってみることだ。彼らと遊んでみることだ。話をし てみることだ。触ってみることだ。彼らの身体はそのまま心なのだから。 彼らと友達になれたら、自分が大人であることに気付くだろう。この世に終わ りがあってはならないことに気付くだろう。自分と彼らとの生理・物理的な力 の差に気付くだろう。自分だけの<生>の原点が見えてくるかもしれない。も はや、何故生きているのか、考えてなんかいられなくなるだろう。 この世のものを意味づけようとすれば、その全てが灰色と化してしまうのかも しれない。映画も、音楽も、スポーツも、小説も、絵画も…。何の為に?なん て愚問かもしれない。 精一杯頑張っている人に、ひたすら誰かの為にと頑張っている人に、もし、こ の自分の命を、力を分け与えることができればそうしたい。でも、それはでき ない。でも、もし出来るならば、生きよう、生きたいとしている人たちに分け てあげたい。病で倒れている人に。餓えで死んでいく人々に。 それにしても自分は無力だ。しらじらしい。逃げようとしているくせに。 旅に出たい…旅に出る…。それほど人は出会いを求めている。なぜだろう。で も、旅に出られない人がいる。自分の存在を苦痛でしか感じることのできない ような人がいる。学校に行きたいのに行けない子供がいる。親のぬくもりが一 番必要な時に…。神様って残酷なことをする。 人の生きる姿に例えようもなく締めつけられることがある。買い物…食料品コ ーナーでの人々との触れ合いは、悲しくなったり、人間がいとおしくなったり する。誰もが、少しでも安く、栄養のあるものを探している。遠い昔、いつも 見ていた母の姿と同じだ。辛くなって目を閉じてしまう。隣の人が自分より安 い品を手に取っているのを見ると、胸がしめつけられる。自分の心の置き場に 困ってしまう。 老若男女問わず、食事をしている時、何かを食べている姿を見る時ほど、人が 愛しく思えることはない。嬉しくなってくる。踊り出したくなってくる。あの 愚問なんか寄せ付けない。なぜだろう。 海を見つめていると悲しくなってくる。 命がとても小さく思えて涙があふれてくる。とても、でっかい気持ちになんて なれない。愛ってやつも、悲しいくらい小さなものに思えてくる。たくさんの 出会いも、不安も、海を見つめていると、忘れてしまいそうだ。生きているこ とさえも、見えなくなっちまう。たくさんの欲望さえ、カケラほどになっちま う。人生の短さの中で、どうして憎みあったり、欺きあったりするのか、って 思ってしまう。 海を見つめていると悲しくなってくる。 なぜだろう。人が恋しくなってくる。 ぬくもりこそが生の証だ。 人は自分の過去からの延長上で何かを見、捉える。だから、人の数だけ人生論 があるのだろうし、生き方があるのだろう。 この地球上で病と闘っている人、餓えで苦しんでいる人…同じ生理を営む人間 として、とてもすまない気持ちでいっぱいだ。けど、明らかに自分の為だけに 生きている。そして喘いでいる。自分の煩悩を捻じ伏せたいためにだ。考える 力があるために煩悩がうまれるとすれば、逆に考える力で、それを取り去るこ と、これが神様の目的?だと考えた方が気が楽になる。でも、自分をコントロ ールしていくことは容易なことではない。 自分だけが生きていくことに、こんなに喘いでいる。しかも死活問題からほど 遠いところで。自分だけの疑問に自分で答えたいとしている。不真面目だ。真 剣な生き方とはどうしても思えない。まだまだ人間には、ほど遠い。 子供の頃のように、子供たちのように深く眠りたい。 俺の命は俺だけのものだ。残念ながら誰にも渡すことができない。そこにどん な意味があるのだろう。人の一生は短いものだ。世界広しといえど、肩寄せあ って生きる世界は小さいものだ。ぬくもりを伝え合っていく世界は小さいもの だ。海が教えてくれる。君だけかもしれない。あなただけかもしれない。 人間には同じ傷を舐めあって生きる習性があるようだ。 傷を負って初めて何かが見えてくる。 傷を負った。誰かがその傷を癒してくれた。誰かが俺の命を救ってくれた。遠 い昔のことだ。その人たちへの気持ちとして、支えあって生きる一人の人間と して、時の許す限り歌を生み出そう。社会への恩返しには遠いことだとしても 俺を蘇らせてくれた、生きた血を分けて下さった人たちへの気持ちとして音楽 をやっていきたい。一瞬でもいい、互いを確かめ合うために。許す限り出向い て音を伝えたい。何かを伝えたい。何かを探したい。俺にできるたった一つの 人間らしさとして。 焦らなくてもいいんだ。一生かけてじっくり勉強していく。一生懸命努力する。 そして、運命という逃れられないものがあるとすれば、正面から委ねよう。心 の中に描いている俺としての行動をとっていきたい。俺の心にいるライバルと 行動していきたい。少年っぽくてもいい。子供じみていると言われてもいい。 あくまでも、俺が描いた人間として。 それにしても、この世界で大切なものって何なのだろう。 人の一生って何なのだろう。 こうやって取りとめもなくしたためている、それは他人の優しい心をもてあそ ぶプレイボーイと少しも違わないことかもしれない。そうだよな、こんな手段 で自分を確かめ、安心し、そして逃げ出そうとするより、一粒で300メートル 走れるというキャラメルを食べて500メートルに挑戦したほうがいいんだよな。 何でもきやがれ!なんてウルトラマンだと言い聞かせ、またそう信じているも のの、いざとなると、その仮面はすぐに剥がれ落ちそうになって、必死にそれ を押さえている。絶望的なウルトラマンだ。 25歳になった今日、その<しるし>としてダラダラとしたためてみた。深夜の 俺なのかもしれない。魔性に操られた俺かもしれない。でも紛れもなく自分だ。 これからも動いて勉強をしていく。音楽を通して何かを探していく。 あれ? なんだかおかしい。 永遠のテーマと名づけた、あの魔性の声を思い出すことすら億劫になってきた。 これ以上、ペンが走りそうにない。25歳の今日の俺も、底をついてしまった。 これでいいのか? いや…これで…いいんだ。 支えられている自分としていつか誰かを支えられたらいいね。 神様、俺、せいいっぱい生き抜きます!                昭和56年2月18日 ゆうじ ♪我慢しなくていいんだよ 涙こぼしていいんだよ  一生懸命歩いたら 心の汗が出るもんさ  胸が裂けるほど 泣いて 泣きやんだら  君の目の前に 笑顔の虹が出る 「だいじょうぶだよ」より
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