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4. 女湯 銭湯へは母ちゃんの決断で出かけた。小高い山の上にあった我が家。銭湯まで坂道を下 って、踏み切りを渡った。燃料のチップが散らばっていた銭湯の裏は、お楽しみ広場。 そこに大きな黒い自転車の、紙芝居のおじさんがやってくるんだ。そのおじさんの声。 「お金は持っとるね?」僕のタダ見のもくろみは無残にも阻止されていた。趣味活動な んかじゃなかったんだね。 さて、銭湯の入り口。僕らは向かって右側からの入場。女湯。母ちゃんに手を引かれる まま、入場すると脱衣室。母ちゃんが、これだと決めた丸い藤かごにみんなの服を脱ぎ 捨てる。男湯と女湯の境目にある番台では、おじさんとおばさんが交代で、週刊誌を眺 めながら、こちらをチラリチラリ。まさにプロ。さて風呂場。くもったガラス戸を開け ると、カラオケボックスが大集合したような音、声が響き渡る。壁の向こうは男風呂。 足元の10センチくらいの隙間から、石鹸のやりとり。壁越しの会話。湯船といえば、 子供たちの水中忍者教室。「こら、泳いじゃいかん!」大人の愛のムチがピシャリ。ど この子供であっても容赦なかった。僕は木造の風呂桶をいくつか重ねて、自動車の運転 気分。だって泳げなかったから…。実は、このお風呂で溺れたことがあるんだ。足を滑 らせてね。そん時の母ちゃんは凄かったよ。まるで愛のカワセミだった。湯船に沈みな がら、はっきり見たんだ。母ちゃんが飛び込んでくるのを。 その恩人が体を洗ってくれる。とにかく綺麗好き。我が家で出来た〈へちま〉のタワシ で磨いてくれる。痛いのなんのってね。その途中。「母ちゃん。今日は、頭、洗うと?」 脱衣室の映画のポスターの横に、髪を洗う場合は別料金って表示があってね。銭湯用の シャンプーを使うわけではないのに、なぜ料金が追加されるのか不思議だったな。お湯 をその分使うからだったの? 母ちゃんの右ひざに頭をのせて、髪を洗ってもらう。仰向けの体勢。空色に塗りこまれ た天井が見える。天まで高く、まるで湯気と一緒に吸い込まれる気がしたな。母ちゃん の「さぁ。首まで浸かれ」という命令で、姉ちゃんも、僕もゆでダゴになってフラフラ と脱衣室へ。ドライアーなんて無い時代。風邪をひかせぬようにと、僕らの髪を乾かす のに母ちゃんは必死。プロレスのヘッドロックって知ってる?あの技を使うんだ。おか げで、僕と姉ちゃんの脳みそは、揺らした豆腐。そして「ゆうじ飲むかい?」待望の一 声。ビン入り、茶色のヨーグルト。丸い紙のフタを爪でこじ開けて飲む。うまかったなぁ。 さあ、帰ろう。外は暗闇。カンナ畑をすり抜けて家路を辿る。母ちゃんと姉ちゃんが突 然、かくれんぼ。途方にくれベソをかく僕に「バー!」 いつものように、星空を見上げて流れ星探し。母ちゃんはいつも星探し。祈り星を探す んだ。僕は、この頃病弱だったから。我が家までは、かなりの道のり。かくして、芯ま で温まったはずの僕らの体温は、空へと消えていく。はっはっ、はくしょん! ♪ 母ちゃんは夜空ばかり見上げていた 出てこい 出てこい 祈り星 この子をどこにも連れていかないで 「お風呂帰りの祈り星」より
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